日本一の泉大津

 いかがお過ごしですか?いよいよ秋ですね。穏やかな日差しの中で、たまにはお弁当持ってピクニックとかもいいですね。埼玉にも、ぶどう刈りなどがあるみたいですね。


 明治時代から純毛毛布が日本で織られるようになり今年で132年が経ちました。その始まりは江戸時代初期からの日本の伝統的な織物に由来し、現在の柔らかい毛布へと受け継がれてゆきます。国産のカシミヤ毛布作りが見たいと大阪は泉大津に行って参りました。


 1月8日、大阪に前泊した私は待合せ場所の南海線泉大津駅へ向います。1月ですが陽の当たるところは暖かくて心地よく、当日入りした埼玉の西川チェーンの仲間と紡績会社の西出社長さんの車へと乗車させていただきます。

 早速、糸を紡ぐ紡績工場・旭毛糸紡績株式会社へ。海外から送られてきたカシミヤやウールなどの原毛の塊をほぐし、大きな刺がついたローラーで混ぜ合わせていきます。更に細かい刺のついたカード機にかけると、ふんわりした繊維になります。

「あれ?この工程、出雲の綿の糸の工場でも見たかも・・・」そうなんです。私が知らなさすぎでした。

 糸を紡ぐのは綿もカシミヤ等の毛も、同じような工程なのです。ここではふわふわになった繊維を薄い綿のように伸ばし、横と縦に並べて糸にいたします。

 泉州は古くから全国有数の綿作地で天明5年、宇多大津村に綿花売買の注文所ができると村の人々は綿の生産から加工、商いへと仕事を広げたそうです。

 着物の帯留等に使われる真田紐。実は、その真田織の創始者は、あの戦国時代の真田 幸村だそうで、それを泉州へ伝えたのが、「後藤又兵衛」と言われているそうですが、諸説あるようです。「何で真田 幸村が?もしかして大阪夏の陣で戦ったからかな?」などと、勝手に想像していました。

 実は泉州に古くから伝わる木綿織の技術と、真田織の技術が上手いこと合わさって、明治の毛布の技術へと繋がってゆくのでした。


 明治12年頃、海外からの「赤ゲット」とよばれた輸入毛布は真紅で、肌ざわりも柔らか。とても温かくて誰もが憧れましたが、とても高価。これを追い越そうと、毛布作りが始まります。最初は牛の毛で服地を織りましたが、ゴワゴワと硬く、何とも言えない臭さによって、失敗に終わります。

 そこで「服地がダメなら寝具だと、牛の毛布が誕生します。これが我が国の毛布第1号誕生です。しかし、その目標の赤ゲットにはほど遠く、縞模様から「ダンダラ毛布」とよばれました。赤ゲットに及びもつかないダンダラ毛布を

なんとか柔らかな肌ざわりにしようと、牛毛に石灰を混ぜて臼でついたり、また牛毛の柔らかな繊維だけを選び出して糸にするなどチャレンジが続きます。「牛で作るのも驚きだけど、諦めないですごいな!」と、その説明を聞きながら思いました。きっと、大量の毛が取れるのは家畜の中で牛しかいなかったのでしょうね。


 毛布の良し悪しは起毛によるといわれ、泉州毛布の名声を不動のものにしたのが、この起毛の技術です。牛毛布の頃は、手作業で行われていた起毛もその後、まんべんなく起毛する動力式起毛機へと発展していきました。前進を続ける技術は現代に受け継がれ、毛布作りは機能性、デザイン性、付加価値を求めて更に研究、開発を行い全国シェアー約90%と「毛布王国」として発展し続けています。

 日本人の技術ってすごいですね。ブランケットの始まりは外国ですが、日本の毛布製造の技術は戦国時代からの伝統的な方法を開発して作られたとは、本当に驚きでした。


 いよいよお昼。大阪と言えばお好焼き。洋食焼・ネギ焼 かっぱさんへ。「ん、洋食焼って?」メニューに洋食焼と書かれたものがあります。

 泉大津で、お好焼きにソースを塗るから洋食焼と言われたなど、諸説あるようです。

 数人でひとテーブルだったので、洋食焼や関東では珍しいネギ焼きとモダン焼などを注文いたしました。「やっぱり大阪のお好焼き美味しい!」と、大満足。ビールがあればもっと最高でしたが、研修中だったので我慢です。

 お昼を済ませ、いよいよ毛布工場の今新毛織株式會社へ。こちらは東京西川指定の毛布工場となっており、とても信頼がある会社で、日本でも高い技術を誇ります。この日はたまたま、社長が東京の西川へ出張で、会長さんがかなり親切に説明してくれました。

 旭毛糸紡績株式会社さんで紡がれた糸を織機へ掛け、タテ糸の間を目で追えない速度でシャトルがヨコ糸を往復させて織りあげます。その往復スピードが1分間に150回、その動きは目でとらえることが出来ません。

「洗い」や蒸気の加熱100℃での染めなどを経て 織り上がったばかりの毛布は、絨毯のように硬く、これを数多くの針がついたローラー、起毛機にかけると、毛羽立ってきて、起毛します。

 起毛は、毛布づくりの中で最も重要な工程で、起毛師は指定された風合いを生みだすため、永年に積み重ねた熟練の職人が努めます。その後、毛を一定の長さに揃えるシャーリングなどの工程を経て、出来上がり。

「毛布って、糸を紡ぐところから、こんなに長い時間を掛けて作られるんだ」。何げに普段から慣れ親しんでいる毛布にも戦国時代からの先人が開発と努力を重ねて受け継がれた技術のすごさに感動いたしました。


※このニューズレターは2019年10月1日に発行したものです。

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