行きたかった松本へ2

 皆様お元気ですか?早いものであっという間に秋になりました。過ごしやすくなりましたが、夜は気温も下がりますのでお体お気をつけてください。

 前回は初めて訪れた松本の町並みや湧水、特急しなのからの日本三大車窓の眺めなどを書かせていただきましたが、松本と言えば、やはり松本城。入口の広場には、【国宝 松本城天守】と書かれた大きな石標が威厳を放ち出迎えてくれます。

 お堀を渡り、どっしりとした門をくぐると、本丸御殿のあった場所はお庭が広がり、その先に正面から天守閣が見えます。その天守は、外からは五階建てに見えますが、実は六階建てで、軍事への堅固さが伺えます。

「おー、大きくてキレイだな!」と、松本城は戦時のために造られた天守の棟が二棟、平和な時代に増築された二棟の櫓からなり、それが上手く調和して、とても優美な雰囲気です。 

 入口に当たる大手口へ進むと、これからどんな内部や城独特の仕掛けがあるのだろうと、ワクワクします。


 いよいよ内部へ。一階から二階へ進みますが展示物も無く、「あれ?松本城ってこれだけか。」と、ちょっとがっかり・・・。ですが通路を進み出口に出るのかと思っていると、長い廊下に出ます。「なんだ、これからが本番か!」今まで登った建物は乾小天守と言う建物で、大天守閣と勘違いしておりました。

 大天守閣は、瓦や旗など展示物も多くなり、広間の広さも先ほどと違い、柱もより堅剛そうに見えます。時代を感じさせる黒い階段が現れると、段差が高くとても急で、まして掴まる手摺もありません。今では観光用に、竹の手摺が組まれていますが、これを掴まないと登れません。

 戦国期の永正年間に信濃国守護・国司の小笠原氏により、深志城が築城されたのが松本城の前身で、その後武田信玄が小笠原氏を追い出し三二年の間、深志城を治めたそうです。武田家滅亡後、小笠原時長の子・貞慶が城を奪い返し、その名も松本城と改めました。

 徳川家康の家臣だった石川数正を始め、小笠原氏や松平氏など、徳川家と深いつながりをもつ六つの家々の、二三人の殿様が城主となったそうです。

 

 天守閣の二階へ上がると、火縄銃や装飾の施された鉄砲など貴重な展示があり、その美しさを眺めていました。「城の壁って、こんな分厚いんだ!」と、厚み60センチはあると思う改修工事の時に切り取った、漆喰の壁が展示さにその厚みに驚きます。


 六階建てで、しかも四方をこんなに厚い壁で覆うのですから、基礎や骨組みも相当しっかりしているのでしょうね。改めて、昔の日本の技術の高さに感心いたしました。三階に上がると、小さな窓が一つしか無い空間があらわれます。薄暗く四方を壁に囲まれ「何か物々しいな。」と緊張感が漂います。これこそが六階建てでありながら、外からは五階にしか見えない工夫だったのです。外からは見えないので、有事には武士がこの階に集まる場所だったそうです。物々しい雰囲気が伝わるのですね。

 4階は先程と打って変わり光があふれ開放的で、何やら高貴な雰囲気です。柱も白木で御所風で、中央を御簾で覆い、有事の時に殿様の御座所となります。

5階、最上階の6階へ上がると「おっ、すごく涼しい!」この日の松本の気温は、31度。5月なのにとても暑い。

ですが、低層階でとても暑かった気温も、最上階では山に登った様に温度が違います。


 しばらく涼むと汗もひき、六階からの眺めはまるで天空にでもいるよう。遠くに見える北アルプスの山々と同じ高さにいるような感覚。山の稜線も美しく見え、風の心地よさと木のぬくもり。山々や見下ろす地上の風景。「何て最高なんだろう!」と、急階段は大変ですが登り甲斐があり、ずーっと居たくなります。


 大天守閣を下り月見櫓へ。徳川家光が京都からの帰りに善光寺へ参詣の途中、松本城に泊まる予定でした。時の藩主は、急遽この月見櫓の建築を致しますが、中山道の木曽あたりで落石があり、家光は松本城へは来られなかったそうです。白木の柱と漆喰の白

外にめぐらわせた高欄の紅色が、とても典雅な造りとなります。月見の際には戸板を外し、月をめでたそうですが、城でありながら、この櫓は平和の象徴ですね。

 明治になると各地にあった天守が売りに出されいきました。松本城も例外ではなく、天守は235両で落札され、取り壊される事が決まります。 

 松本城天守が売りに出された時、古い天守を破壊するより残すべきだと考えた市民たちは、市川量造と言う方が中心となり買い戻されました。市民の力で松本城は守られたのです。取り壊しの危機から逃れた松本城、その所有も農場試験場から中学校、昭和五年に天守閣が国宝に指定されると、松本市の管理となります。


 取り壊し寸前だった松本城ですが、お堀に掛かる紅い橋と天守閣の眺めがとても優美です。「あぁ、先人の苦労があって、この素晴らしい城が観られるのだな。」と、数奇な運命をたどりましたが、松本のシンボル、日本の掛け替えのない宝として「いつまでも残してほしい」と松本を後にいたしました。

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