(※このニューズレターは平成31年1月に発行したものです。)
新年あけましておめでとうございます
旧年中は有難うございました。本年は年号をはじめ、新しく変わる年でもあります。変わらずに努めてまいりますので、本年も宜しくお願い申し上げます。
12月号では神楽坂散策の前編を書かせて頂きましたが、年を跨ぎますので、後半はまた改めてお手紙いたします。今回は8月の大阪出張の折に奈良へ行った事を書かせていただきます。
奈良へは中学校の修学旅行以来で、その当時は大仏様が大きかった事と、鹿に鹿せんべいをあげて追い回された事しか覚えていませんでした。 奈良駅に到着すると、駅舎の内部は大寺院を思わせる大きな木の柱や格天井など、何となくそこから空気が違います。
「あー、奈良駅ってこんな建物だった!」と、覚えのある旧駅舎は昭和9年から平成15年まで使われ、今では観光案内書となっています。
奈良駅から春日大社に向かう道は、何となく緩やかな坂になっているようで、「春日山や若草山の裾野に開けた街なのかな?」と思いました。奈良公園に入ると、美しい芝と松の翠(みどり)が美しく、その雅さに「あぁ、やっと奈良に来られた」と、ワクワクします。この時は奈良公園が広大で、ゆっくり見ようとすると1日では時間が足りないのが分かりませんでした。
先ずは春日大社へ。専用駐車場から入り、3月の春日祭の時に宮中より勅使が参向され、着到の儀が行われる着到殿を拝観。寝殿造風の建物だそうで桧皮屋根の勾配がとても美しい殿舎です。
着到殿より正面の参道に出るとものすごい数の石灯籠が並びたち「鹿だ!可愛い」と、可愛い鹿が出迎えてくれます。普段は動物が出迎えるなんて事を体験できないので、とても感動いたしました。
正面の南門をくぐりいよいよ社殿へ。白木の拝殿の先に、朱色も鮮やかな中門が見え、思ったよりも広かったです。特別参拝の受付をすませ、中へ進みます。
「あー嬉しい!やっと来られた」と、シルクロードの終焉の地とも言われる春日大社に来たかった思いが、やっと叶いました。中門から国宝・春日造の本殿をお参り。
四棟からなる本殿は、鮮やかな朱の柱や金の雨樋などに彩られ、雅やかさと神々しさでいっぱいです。
林檎の庭の白砂利と芝の緑、回廊の朱の柱と青い窓。全てが鮮やかで美しい。「青丹よし」と和歌で奈良に掛かる枕詞の語源を味わいました。
奈良の都は平城京と言い、今から1308年前の和銅3年に女帝・元明天皇が藤原京から遷都いたしました。平城京が誕生した頃に、春日大社が創建されます。「鹿島立ち」と言う言葉がありますが、茨城県の鹿島から神様が鹿に乗り、春日にお越しになられた由来は余りにも有名で、鹿たちも御神鹿と言い、鹿島の神様をお連れした鹿の子孫だと聞いた事があります。
「こんなに燈籠下げて、重たくないのかな?」回廊には無数の青銅色や真新しい金色の釣燈籠が下がっています。中には五代将軍・徳川綱吉公や藤堂高虎公など有名な武将が奉納したものも。
春日大社は燈籠の数でも有名で、平安時代から現在まで約3千基も奉納され、年に3日だけ全ての燈籠に火を燈す、春日万燈籠が行われます。
藤波之屋と言う建物でその幽玄な世界を再現しており「これは綺麗だ!こんな雰囲気なんだ」と、しばらく優しい光を眺めていました。
春日大社はシルクロードから奈良平安、江戸から現代まで歴史の宝庫そのものです。
春日大社から春日山が源流の水谷川を渡り、東大寺へ。少し歩き続けたので風情のある水谷茶屋さんで休憩です。早速目に止まった、くずきりを注文。関東ではあまり馴染みが無いので楽しみでした。
「うーん、美味しい!」生まれて初めて食べたくずきりは太くて、つるっともっちりと弾力があり、黒蜜と絡み、美味しかったです。レモンの風味が爽やかで、残暑を和らげてくれました。
さて、出発です。途中右手に芝に覆われた若草山が目の前にせまります。
若草山は江戸期以降、三笠山とも呼ばれたそうですが、遣唐使で日本への帰国が叶わなかった、阿倍仲麻呂が唐の国で「三笠の山に出でし月かも」と歌ったのは、春日山の別名、御蓋山のようです。
三層からなる三笠山に例え、皮・餡・皮と三層のどら焼きを「三笠山」と名づけた。また、薄い皮の間にうぐいす色の餡を包み、野焼きした若草山の下には、若草が出る状態をお菓子にしたなど、諸説色々ありますが馴染み深いどら焼の由来となる山でもあります。
若草山から手向山、東大寺に向かう道は、途中に古い墨屋さんや純和風旅館、お茶屋さんなどがあり古都の風情が漂います。また次号で。
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