おかげさまで七十年、ありがとうございます。

毎度ご愛顧を賜りましてありがとうございます。おかげをもちまして加納屋創業70年を迎えました。謹んで感謝申し上げます。

 祖父・祖母が浦和にご縁を賜り、お客様並びに地域の皆様に支えられて、加納屋は70年を迎える事ができました。本当にありがとうございます。

 祖父・福治の出身は桶川市の旧加納村、祖母・キヨ子の出身は栃木県足利市板倉で、福治が若い時に東京の寝具店に勤め、キヨ子と出会いました。

 戦争も激しい昭和17年3月29日、この年は例年より早く咲いた桜が満開だったそうで、墨田区の牛島神社で挙式をいたします。

 多くの男性が戦地へおもむく中、神社の写真館のご主人も徴兵され、手慣れない奥さんが撮影してくれたそうで、少しボケた記念写真しか残っていません。

 2人は両国駅前にある江戸東京博物館からほど近い、当時兵隊さんの衣類等を備蓄していた陸軍被服廠跡(りくぐんひふくしょうあと・現在の東京都慰霊堂)の近所で暮らしました。

 祖父も結婚後すぐに徴兵されたのですが、任期を終え除隊となります。戦争中と言っても昭和17年はまだ日本の戦局も厳しくなかったそうで、任期で帰されたそうです。

 昭和20年3月10日、あの東京大空襲に合い、隣のおじさんおばさん、近所の人たちは誘導されるまま敷地の広い被服廠跡に避難したそうですが「あそこは火攻めにあって死んでしまう!」と、怒鳴る誘導を振り切りました。

 祖母から「被服廠は関東大震災の時に大変だったんだ」と聞き、子供ながらに「避難しているのに何でだろう?」と思っていました。それが「あ、おばあちゃんが言ってたのは、この事か!」と1昨年位のNHKの特集で、解りました。

 関東大震災の折、大勢の町の人たちが大八車に家財道具一式を積んで、この被服廠に避難したそうです。火の手が被服廠に迫ると、この大八車が逃げる人々の邪魔をし多くの方が犠牲となられたそうです。

 その事もあり、祖父母は被服廠へ避難せず、とにかく水のある場所を求めました。

 妊婦でありながら二歳の長女を背負い、大横川と言う小さな川に飛び込んだそうです。何時間も水に浸かっていましたが子供も助かりました。


 被服廠跡は震災後、慰霊堂が建立され、関東大震災の犠牲者と、戦後に東京大空襲の犠牲者を合せ祀り、東京都慰霊堂となります。小さい頃に3月9日か10日、祖父母にお参りに連れられ、堂内に展示された空襲時や焼け野原での供養など悲惨な絵画が、非常に怖かったのを憶えています。

 また、多くの人が飛び込んで避難した大横川は「大横川親水公園」と整備され、そんな惨事があったのも嘘かと思うほど、四季を感じる穏やかな公園となっていました。

 浄化された水の流れに、多くの子供やお母さんたちが集まり、その穏やかな光景を見て、「平和な時代に生まれて本当に良かった」と、つくづく思いました。

 その後、祖父母は命からがら桶川にあるの祖父の実家に身を寄せ、男子を11月に出産します。その男の子が私の父、二代目の恒治です。


 東京で仕事を探そうと思っていたところ、浦和駅東口の日の出通り沿いに住んでいた祖父の兄が「俺たちは東京で商売を始めるからお前たちここに住め」と昭和20年12月家ごと譲りうけて加納屋が創業されました。現在日の出通りにある、トヨタレンタカーさんの場所です。

 出身地・桶川の加納村から屋号をとり、加納屋と命名。当時は若い衆がどの商店もいたそうで、10坪足らずの小さな当店にも3人の若い衆がいたそうです。

 物が不足し布団に入れる綿も無く、八百屋さんに入荷するリンゴを保護する為のモミ殻で枕を作りました。

 八百屋さんからリンゴ箱ごともらってくると、出し忘れたリンゴが1つ2つ残っていて、本当にひどい話ですが店頭に並べると、すぐに売れてしまったそうです。

 だんだんと商品が出来るようになると、祖母が田舎に預けてあった嫁入りの着物をほどき、布団に仕立て売ったそうです。まだまだ布団は貴重で農家に売りに行くと、現金の変わりに食物で支払われ、今度はそれらの柿や芋なども寝具と一緒に店頭に並べると飛ぶように売れたそうです。

 昭和25年、現在の原山に綿工場を建てると、社員も30人に増員し、地方問屋として関東全域の布団屋さんに綿を納めていました。

 ですが近年になると、綿から軽くて温かい羽毛ふとんや、ムアツ敷ふとんなど、機能性の高い寝具が多く出現します。そんな事情もあり昭和63年、工場を閉鎖。その跡に現在の建物を建て、東京西川専門店として現在に至ってます。

 昭和20年の創業より思い出のある、日の出通りの小さな店と住居は平成3年、40余年の幕を下ろしました。

 拙い文章をお読みいただき、本当にありがとうございます。本年は西川創業450年と重なりましたので、祖父母や父に小さい頃に話していた事を思い出しながら、まとめさせていただきました。加納屋はお客様に支えられ、70年を迎える事ができました。

 皆さまに心より感謝申し上げます。今後とも加納屋を宜しくお願い申し上げます。


※この記事は平成28年5月に発行致しましたニューズレターです。

さいたま市、浦和の寝具なら東京西川チェーン加納屋

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