守る技と、進化する伝統。

 皆様いかがお過ごしでしょうか?こんにちは。加納屋の荒蒔 貴史です。早いもので今年も半年が過ぎてしまいますね。この夏は暑いそうなので、お体にお気を付けください。

 回らない寿司。15年位前までは、職人の技が光っていました。そんな伝統が減ってゆく中、浦和で守り続けて80年。思いがけない味があります。「寺の前か宮の裏」店を開業する時に立地の良い場所を表す言葉だそうで、その繁盛振りは浅草や柴又などの門前からも想像できます。

 旧中山道から玉蔵院へ進むと、山門の前に宝すしがあります。実はこのお店、私の母の姉で伯母の二三子(ふみこ)が二代目の賢太郎に嫁いでおり、三代目は私の従兄です。先々代の細井重蔵(ほそいしげぞう)が浅草にあった寳寿司(たからすし)より屋号を頂き、昭和11年に宝寿司を創業します。何と今年は創業80年を迎えました。当時、浦和の寿司店は宝寿司を含め3軒位と少なかったそうです。

 玉蔵院と言うと、現在は本堂前の枝垂桜が有名ですが8月23日に行われる大施餓鬼は浦和の夏の風物詩として、多くのお参りを集めました。私も小さい頃に祖母に連れられ、大施餓鬼に行ったのを覚えています。とても賑やかで、かき氷等を食べた記憶があります。

 その玉蔵院の大施餓鬼に合わせ宝寿司は開店いたしました。当時は情報誌やネットも無い時代です。「なるほど、人出が多い日に開店は目立つね」と、今の宣伝に通ずる話を伯父より聞きました。

 当時の寿司屋さんは、節句やお祝い事などの出前が主流で、店にはと言うと商店の旦那衆が来ていたそうです。その昔、寿司は屋台で食べさせました。その名残で店舗を建てても店の外にカウンターがあり、長めの大きな暖簾を掛けて店内で握り、外のカウンターに出していました。浦和でも屋台から発展し、後に店舗を建てて営業したお店もあったそうです。

 初代の重蔵は52歳の若さで他界します。伯父の賢太郎は24歳の若さで宝寿司を継ぎ、それから54年もの長い間、お店を守っています。

 伯父の頃は住込みで多くの弟子が修行をし、その暖簾分けのお店や、孫店まで出店いたしました。

 三代目の重朗は私の1歳上の従兄で、小さい時は旅行によく行き また、宝寿司によく泊まりに行きました。宝すしのお婆ちゃんにもよく可愛がれ、家族で遊びに行くのが楽しみだったのです。

 38年前頃も浦和の街の中心は西口で、それも中山道です。母が「宝寿司に行くよ」と言うと、小さいながらに「あっ、町に行くんだ!」と、嬉しくなりました。

 日曜の中山道は歩行者天国を開き、当時は珍しくマクドナルドや映画館。大きな商業施設が並び、美味しいものがあふれていました。そんな事を思っていると「あぁ、懐かしい。あの活気のあった時に戻りたいな~ぁ」と、思ってしまします。

 中学からは部活などもありなかなか従兄の重君(今でもしげくんと呼んでおります)にも会えなくなります。重君は高校を卒業すると、すぐ板前の修行に出ました。

 通常の修行期間は三年で、御礼奉公としてその後、1~2年の計4~5年勤めるのが大凡ですが、重君は寿司店に4年、東京の割烹、和食からまた寿司店と多くの修行を11年間積み、平成11年に宝寿司に戻ります。店も現代風に建て替え、お座敷や個室の数も以前より多くなりました。また、漢字の宝寿司から「宝すし」と屋号を変えます。

 盛り合わされた刺身も角が立ち、腕の良さと新鮮さがよく判ります。生魚以外の料理も豊富で、寿司屋のグラタンやホタテのガーリックトーストなど修行で習得した数々の料理は、今までの寿司店の概念を変えてしまうほど、斬新で衝撃的でした。生が苦手な人の来店も多く、また以前から伯母が作る煮込みや寿司屋の餃子は今も人気で、そのいつもの味に「ほっ」とします。

 そして寿司。以前は鮨桶に伝統的な水引盛等で握りが隙間なく盛られていました。

 今では皿に握りを盛る寿司店も多くなりましたが、初めて見た重君の新しい盛り方は伝統の盛り方を踏まえつつ、ガラスや陶器にセンスよく盛られます。見た目もとても美しくて「どれから食べようか?」と迷ってしまいます。

 以前、沖縄旅行で琉球ガラスの青色の皿をお土産にした事がありましたが、そこに握りを出してくれました。洋食しか合わないと思っていると、「あっ、プロは何でも使い熟すのか!」と、青の地にネタが見事に映えていました。伯母が「若いカップルが来た時にこの皿で出すと、喜ばれるんだ」と言っていたのを思い出します。

「なるほど!お客様に合わせて皿まで選ぶんだ。」そこまでのおもてなしに頭が下がります。だからいつもお客様でいっぱいなのですね。

 今年、80年の節目の一環として店内をリニューアルいたしました。壁も落ち着いた色となり、BGMもセンスの良い曲が流れて何とも居心地が良く、ランチもお勤めの方や、お稽古帰りの主婦達に人気があります。

 ゆっくりと、うらわ美術館や玉蔵院と浦和散策の前後にすしランチもおすすめですよ。

「伝統とは革新である」西川の十四代目・西川 甚五郎の言葉で、私が大好きな言葉ですが、現代に合わせ美しい握りすしを食べながら、そんな言葉を思い浮かべておりました。

伯父さん伯母さんいつまでも元気で。そして重君いつまでもファンやお客様の為に、革新し続けて美味しい物を作り続けてほしいと、願っております。「この店の伝統も革新し続けた八十年。浦和で開業してくれてありがとう」

※このニューズレターは平成28年6月(第79号)に発行したものです。

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