真田のさと上田へ

 皆様お元気ですか?1年は本当に早いですね。あっという間に年が明けてしまいます。新年はゆっくり過ごそうかな。暮れは何かとお忙しいと思いますが、お体ご自愛くださいね。


 北陸新幹線で長野方面に下り、上田駅を過ぎると右手に強固そうな城の櫓が現れます。「一度行ってみたい・・・」大河ドラマ「真田丸」終わりに近づきますが、上田城の街に行ってまいりました。

 上田駅に着くと、騎乗の真田雪村像が勇壮な姿で出迎えてくれます。「おー、かっこいい!」と像を見上げ、「上田に来たんだ」と、上田めぐりにワクワクします。西川の社員に「上田に行ったら、刀屋さんと言うそば屋に行ってください。十二時前には並んでますよ」と聞きました。時間は11時20分。早速、刀屋さんへ。話の通り、昼前で並んでいました。


 趣のある入口で待つこと5分、席に案内され真田そばを注文。真田そばは味噌をだし汁で解き、なめこや鰹節を加えていただきます。味噌あじのそばは初めてで、コクがありとても美味しかったです。そばもその風味が味噌に負けておらず、そば自体が美味しいのがよく分かります。 

「真田太平記」を書いた池波正太郎さんが通ったお店で、池波さんがそうしたかは分かりませんが、ちょっとお酒を飲んでそばを食べるなんて、いいですね。刀屋さんを後に江戸時代を思わせる柳町へ。


 この柳町を北国街道が通ります。幸村の父、昌幸が上田城を築くとその約15年後、城下に北国街道が開通し、大名の参勤交代や佐渡金山の金の道、また善光寺への道として大いに賑わったそうです。古い商家の町並みは、江戸時代にタイプスリップしたようで、中でも造り酒屋の岡崎酒造さんは大きく、早速店内へ。

 店内から奥まで抜けた通路がその敷地を一段と広く見せ、お店の繁栄ぶりが伺われます。

そして信州亀齡を試飲。お酒は楽しみで毎日一合くらい飲みますが、恥ずかしながら吟醸や大吟醸等、分からず飲んでいます。「んっ、これは美味い!」一口含むとふわ~っと甘く果物の味がして、サラッと喉をすぎてゆきます。

 他のお酒も頂きましたが、どのお酒も上品でゆっくり飲んでみたくなります。もちろん自分のお土産に買いました。柳町から、いよいよ上田城へ。


 戦国時代、徳川家康に臣属していた真田昌幸は家康の援助を受け、上田城の築城を始めるのですが、徳川家康から上州沼田領を北条方に譲るように命じられます。それを機に昌幸は徳川家と断交すると天正13年8月、1回目の上田合戦が始まります。

 戦略に長けた昌幸は徳川軍約七千人に対し、僅か2,000人足らずで大軍を撃退します。その後長男・真田信之は徳川方(東軍)、幸村と父昌幸は石田方(西軍)へと着きました

 西軍に着いた昌幸と幸村は上田城に立てこもり、関ヶ原へ向かう徳川秀忠軍38,000人に対し、わずか2,500人で戦います。これが2回目の上田合戦で、秀忠軍は上田を

離れる事が出来ません。結局関ケ原に間に合わず、家康の怒りをかってしまうのです。

「おー、やっと着いた」と、入口の橋を渡ると大きな石垣が現れ、更に進むとコンクリートの大きな建物を賑やかに、真田の赤い旗が棚引きます。「ここが大河ドラマ館か」と、早速館内へ。主役の堺雅人さん等が実際に着けた装束や、幸村と言えば赤備えの鎧兜が展示されています。

「あれ?スケートリンクか何かだったのかな?」城壁の下にはお堀まで造られています

 ドラマ館を後に上田城へ。「すごい!」立派な門と2つの櫓がどっしりと出迎えてくれ、お願いするとボランティアの方が案内してくれます。「あの大河ドラマ館って、室内競技場か何かですか?」と尋ねると、「あれは元々、上田市民会館で53年前に建てられたのですけど、老朽化で取り壊しが決まって1度閉館したんですが、大河ドラマでもう一度開いたんですよ。」なるほど・・・。「そうだったのですね。最後に大きな花を咲かせて良かったですね」と会話が進みます。

 大きな門をくぐり、西櫓に向かう途中、案内の方が「何で兄弟で東軍と西軍に別れたか知ってますか?」と尋ねられ、『敵味方になったのは知ってますけど、解りません。

と言うと「配偶者が徳川と豊臣の方から嫁いだからだよ」と教えられ、「なるほど!」

諸説あると思いますが、単純明快で納得してしまいます。


 西櫓の小さな窓から見る風景は、新幹線の線路の先に、豊かな田んぼと青い山々が重なり、窓の木枠が額縁の様で絵を覧ているようです。


 関ヶ原以降、上田城は取壊しにあい、次に復興されると明治時代まで残ります。明治になり再度解体されますが唯一西櫓が残りました。昭和の始めに、最後の城主・松平氏より市がこの櫓を譲り受け、博物館としたそうです。大きな門や、北と南の櫓は、市民により復元され、公園へと整備されました。上田城は上田の人々にとって、掛け替えのないシンボルなのですね。

 

 戦国時代、親兄弟で東軍西軍に分かれて戦い、計り知れない程辛かった事でしょう。そんな乱世と言われた時代ではなく、「現代に生まれて本当に幸せだ」と感謝いたします。

「今度は新そばを食べに、静かな時にゆっくり来たいな!」と上田城を後にするのでした。


※この記事は平成28年12月1日に発行いたしました。

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